2013年3月30日土曜日
前略、坂口良子様。
あなたが27日に亡くなっていた、と今朝のニュースが告げました。
あまりに唐突な、とても悲しい出来事です。
それを結構引きずって、今日一日が過ぎました。
10代のぼくは、アイドルとか歌手とか女優とか、ほとんどまったく興味がない少年だったけど、あなたとオリビア・ニュートン=ジョンだけは別でした。
なぜだろう。
なぜだかわからないけど、雑誌やテレビであなたを見ているだけでぼくは幸せになれました。
あの頃から何十年過ぎても、かわいいものはかわいいです。
今でもあなたを見ているだけで幸せになれます。
ありがとう。
さようなら。
どうぞ安らかにおやすみください。
2013年3月14日木曜日
「か゚」はどう読むか。
午後、ちょっと席を外した隙に、ネコがMacのキーボードに乗って文字パレットを開き、わけのわからない文字を表示していた。
ひらがなの「か」に「丸」だ。
結構長いこと日本人をやってきたけれどもこんな字はまったく読めないわけで、それをTwitterに書いていたら、夜になって救世主が現れ、正解を教えてくださった。
なんとこれは「鼻濁音」 を表すための文字なのだと。
そうかそうなのか。ちっとも知らなかった。
鼻濁音じたいは知っている。
長らく小学校の教員をしていた祖母に、子供の頃よく言われた。
「が、ではないの、んが」
この「んが」のところがいわゆる五十音では表現できないわけで、あえて書くなら小さな「ん」に続けて「が」とするとそれっぽいニュアンスなのだが、実際は「が」と書くことになるから文字の上では違いがわからない。
祖母がぼくに教えたということは、昔は小学校で鼻濁音とその使い方を教えていたのだろうか。現代の学校でどう教えるのか知らないし、自分がどう習ったかも覚えていない。
そういえば「お」と「を」の違いもよく言われた。
「お、ではなく、うぉ」
祖母の声と口ぶりを今でも覚えてる。
文字だけでは伝わらない言葉。
それを何とか伝えよう、そして世に残そうとあがいた成果のひとつが「か゚」だとすれば、これは言葉に対する愛の証ではないか。
そんなことを思った。
ひらがなの「か」に「丸」だ。
結構長いこと日本人をやってきたけれどもこんな字はまったく読めないわけで、それをTwitterに書いていたら、夜になって救世主が現れ、正解を教えてくださった。
なんとこれは「鼻濁音」 を表すための文字なのだと。
そうかそうなのか。ちっとも知らなかった。
鼻濁音じたいは知っている。
長らく小学校の教員をしていた祖母に、子供の頃よく言われた。
「が、ではないの、んが」
この「んが」のところがいわゆる五十音では表現できないわけで、あえて書くなら小さな「ん」に続けて「が」とするとそれっぽいニュアンスなのだが、実際は「が」と書くことになるから文字の上では違いがわからない。
祖母がぼくに教えたということは、昔は小学校で鼻濁音とその使い方を教えていたのだろうか。現代の学校でどう教えるのか知らないし、自分がどう習ったかも覚えていない。
そういえば「お」と「を」の違いもよく言われた。
「お、ではなく、うぉ」
祖母の声と口ぶりを今でも覚えてる。
文字だけでは伝わらない言葉。
それを何とか伝えよう、そして世に残そうとあがいた成果のひとつが「か゚」だとすれば、これは言葉に対する愛の証ではないか。
そんなことを思った。
2013年3月13日水曜日
偶然の中にある、やんわりとした何か。 - Zapuniプロジェクトの映像作品「blossom」を見て -
震災で被災した地域や子供たちを支援するチャリティ団体のZapuniが制作して3.11に公開したというアニメビデオ「blossom」を見て朝からちょっと泣いた。
最近はもう涙腺こわれっぱなしだからさ。
三回見てようやく鼻水止まった。
そしたらあるシーンに、見覚えがあることに気がついた。
これ、一昨日見たばかりだ。
実写で、いや、肉眼で。
そのときiPhoneで撮ったのがこれ。かなり拡大してるけど。↓
一昨日は3月11日。
ひとりで海にいたら、14:46の汽笛のあと一群のカモメがやってきて、輪になって空に昇っていった。そしてじきに太陽の光の眩しさに吸い込まれて見えなくなった。それがそのときの感情と相俟って、強く記憶に残ったんだ。[★]
そしたら今日見たアニメーションにこれとほとんど全く同じシーンがあったので、制作者もこういう光景を見てあれこれ想像したのかなあと思いつつ、同じ3.11という偶然の中にある、やんわりとした何かを感じたりしたわけです。
実際にあんな風に太陽を取り囲んで飛んでいたら眩しくて見えたもんじゃないとは思うけれども、そこはまあ演出として、良い映像でした。
2013年3月9日土曜日
惑星アブノーマル「月夜海水浴」
またなんか出たみたい。
惑星アブノーマル、という女性二人組のバンドだ。
ファーストアルバムの「何でも無い凶器」
いわゆる不思議ちゃんかと思ったら、不思議は不思議だけど歌も演奏もタイトでしっかりしており、休日の朝に小気味よく聴けた。
椎名林檎(東京事変じゃなく)聴いたあとなんかには違和感なくすっと入ってしまう雰囲気だけど、二曲目の「フラレ唄」なんか歌い出しから「またふられちゃった!」とくるもんだから、かわいくて仕方ない。
とっくの昔にわかってたのに
私は特攻隊
涙の海を さあざぶざぶ泳げ
日本よ沈め
・・・
またふられちゃった
懲りない女
夜中にふらふら
マンホール探す
そうだなあ、ふられちゃうかもなあ。
でもいいんじゃないか。わかってやってるんだし。楽しそうだ。
歌はアレックスたねこ、鍵盤はテナ・オンディーヌ、だそうだ。
このトーンでアレックスとなると"時計じかけ"のアレックスを思い起こさずにはいられないんだけどほんとのところはどうなんだろ。
2013年3月2日土曜日
ハルカトミユキ「ドライアイス」
こないだから聞きまくってるハルカトミユキ。
まもなく2枚目のEPが出るんですよ。
今回のタイトルもいいです。
「真夜中の言葉は青い毒になり、鈍る世界にヒヤリと刺さる。」
ええ、もうiTunes storeに予約してあります。
発売されたら自動的にDLされるんですよね。
便利な世の中ですなあ。
3.13、待ち遠しいです。
*追記
3月6日 0:05にAppleから入荷のメールがきた。早いのね。
とってもいいですよ。聴き入ってます。
2013年2月21日木曜日
ハルカトミユキ「絶望ごっこ」
どこかで聞いたような
美しく薄っぺらい言葉を並べて
陶酔してる
気持ちいいだろう。
ずいぶんひさしぶりに、突き刺さる唄に出会ってしまった。
この数日でもう何十回も聞いている。ほんとに何十回も。
EPのタイトルが 「虚言者が夜明けを告げる。僕達が、いつまでも黙っていると思うな。」
アーティストに対して「〜に似てる」というのは失礼だからそういう意味ではなくて、じぶんの中の揺れっぷりが何に似てるかと考えたところ、たぶんこれは、鬼束ちひろを初めて聞いたときに似てる。
無防備な姿でもう一度言ってみろよ
安全な場所でいつも守られてるくせに。
散々嫌った後で味方になってくれよ
今日は暖かいな、ここは平和だな。
なんということをいうのだろう。
一曲目の「Vanilla」から最後の「絶望ごっこ」まで全部いい。
というわけで、もう一回アタマから聞こう。
2013年2月19日火曜日
「事故・事件の被害者代理人制度」みたいなもの、必要じゃないすか。
この記事を読んで思いました。↓
「世間の関心が高いので是非取材したい」……。
なんだかなあ。
この手の議論のたびに思うわけですが、こういったマスメディアの思い上がりに鉄槌を下すには、「世間の関心はそんなところにはない」という意思表示を世間つまり市民の側がはっきりとする必要がありますね。
マスコミが振りかざす「知る権利」や「報道の自由」というのは、いまや暴力になりつつあるわけで、それを止めさせるには「世間」のほうが「見ない」「聞かない」「買わない」を徹底しなければなりません。
でもしかし、下世話な興味というのは高潔な人の中にもあり、ましてや高潔でない人などはそれだけで人間ができているようなもんだから、実際のところ、きっと止められません。当然のことながらマスコミ側が自主規制などするわけがない。断言できます。絶対にないです。
ではどうするか。
迅速かつ簡便に利用できる被害者/当事者保護の仕組みを作るしかないのではないかと思います。具体的に言えば「対マスコミ 事故・事件被害者代理人制度」とか。
何か事が起きたときにすぐ依頼できて、その後の取材を含めた全てのコンタクトは代理人を通せという。被害者側も何か言いたい事があれば代理人を通じて声明を出すから直接取材しに来るな。そういうこと。
日本では大きな事件になると弁護士が代理人として立つことが多いけれども、それは裁判になってからの話がほとんどなわけで、一般人は日常的に弁護士とつきあってるわけじゃないし、個人的に依頼するのはたいへんだ。まして事件の直後などそんな余裕はないし、費用だって心配だ。となれば、もっと素早く簡単に利用できる制度があったほうがいいなと。
それをどう実現するか。やっぱり保険会社が乗り出すのが妥当でしょうね。
例えば傷害保険の契約に「事故や事件で被害にあった場合の対外対応代理人制度」を付け足す。で、運悪く事故・事件に巻き込まれた際はすぐに保険会社に連絡して代理人を立ててもらい、保険会社は代理人となったことを公的に宣言する。契約者宅ではドアに「今後一切の連絡は代理人たる●●●保険へ。」と貼り出して一切をシャットアウトする……というような方法で。
交通事故の示談交渉などを保険会社が行うのは当たり前になっているので、その仕組みを応用して、こういうときの代理人もつとめるのはどうか、という話です。
事故・事件で取材されるというのは保険契約者全体から見ればかなりのレアケースだから、ひとりひとりの負担額はごく小さくても、保険会社的には十分な商いになるのではないでしょうか。毎月100円の追加で家族全部に適用されるとか。あってもいいと思うんだよなあ。
ただしこれにはおそらく新しい法律が必要で、「いったん代理人宣言をした後は、双方(取材する側される側)がそれを守らないと違法」としなければならないでしょうね。代理人の資格や権限の範囲も決めないといけない。
また、これを逆手に取った悪者が出る事も容易に想像できるから、そこのところは工夫も必要かとは思います。
でもまあ細かい事はさておき、そのぐらいやらないと、いつ自分の身に「暴力」が降りかかってくるかわからないご時世なので、こんな制度ができたらいいなと、ぼーっと考えてました。
冷たい雨を眺めながら。
なんだかなあ。
この手の議論のたびに思うわけですが、こういったマスメディアの思い上がりに鉄槌を下すには、「世間の関心はそんなところにはない」という意思表示を世間つまり市民の側がはっきりとする必要がありますね。
マスコミが振りかざす「知る権利」や「報道の自由」というのは、いまや暴力になりつつあるわけで、それを止めさせるには「世間」のほうが「見ない」「聞かない」「買わない」を徹底しなければなりません。
でもしかし、下世話な興味というのは高潔な人の中にもあり、ましてや高潔でない人などはそれだけで人間ができているようなもんだから、実際のところ、きっと止められません。当然のことながらマスコミ側が自主規制などするわけがない。断言できます。絶対にないです。
ではどうするか。
迅速かつ簡便に利用できる被害者/当事者保護の仕組みを作るしかないのではないかと思います。具体的に言えば「対マスコミ 事故・事件被害者代理人制度」とか。
何か事が起きたときにすぐ依頼できて、その後の取材を含めた全てのコンタクトは代理人を通せという。被害者側も何か言いたい事があれば代理人を通じて声明を出すから直接取材しに来るな。そういうこと。
日本では大きな事件になると弁護士が代理人として立つことが多いけれども、それは裁判になってからの話がほとんどなわけで、一般人は日常的に弁護士とつきあってるわけじゃないし、個人的に依頼するのはたいへんだ。まして事件の直後などそんな余裕はないし、費用だって心配だ。となれば、もっと素早く簡単に利用できる制度があったほうがいいなと。
それをどう実現するか。やっぱり保険会社が乗り出すのが妥当でしょうね。
例えば傷害保険の契約に「事故や事件で被害にあった場合の対外対応代理人制度」を付け足す。で、運悪く事故・事件に巻き込まれた際はすぐに保険会社に連絡して代理人を立ててもらい、保険会社は代理人となったことを公的に宣言する。契約者宅ではドアに「今後一切の連絡は代理人たる●●●保険へ。」と貼り出して一切をシャットアウトする……というような方法で。
交通事故の示談交渉などを保険会社が行うのは当たり前になっているので、その仕組みを応用して、こういうときの代理人もつとめるのはどうか、という話です。
事故・事件で取材されるというのは保険契約者全体から見ればかなりのレアケースだから、ひとりひとりの負担額はごく小さくても、保険会社的には十分な商いになるのではないでしょうか。毎月100円の追加で家族全部に適用されるとか。あってもいいと思うんだよなあ。
ただしこれにはおそらく新しい法律が必要で、「いったん代理人宣言をした後は、双方(取材する側される側)がそれを守らないと違法」としなければならないでしょうね。代理人の資格や権限の範囲も決めないといけない。
また、これを逆手に取った悪者が出る事も容易に想像できるから、そこのところは工夫も必要かとは思います。
でもまあ細かい事はさておき、そのぐらいやらないと、いつ自分の身に「暴力」が降りかかってくるかわからないご時世なので、こんな制度ができたらいいなと、ぼーっと考えてました。
冷たい雨を眺めながら。
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